2013年3月21日木曜日

逆カルチャーショックとお別れの言葉

昨日、日本に到着しました。本日、明日と東京で帰国研修を行います。今、日本に到着して落ち着かない自分がいます。不思議な感じです。目に入るものすべてが新鮮です。

約2年ぶりの日本で一日生活して、感じたことを書きます。

綺麗で静かな車が交通ルールを守っている事。
曲がり角で一旦停止する車。
日本の車はピカピカに綺麗です。静かな音で走ります。クラクションもあまり鳴らしません。横断歩道では車が歩行者のために一旦停止をしてくれます。私が横断歩道を渡ろうとすると車が止まってくれました。「ありがとうございます。止まっていただいて」という感じで、なんか申し訳なくなりました。
道にゴミが落ちていない事。
ゴミひとつないきれいな道路。
こんなに人がいるのに、道にゴミが一つも落ちていません。日本は美しい国です。なんか不思議です。

困っている人を助けない事。
成田空港から電車に乗って都内へ移動しました。その際、小柄な外国人の女性が大きなスーツケースを持って、階段を必死に降りていました。電車を待っている人々は、その光景が目に入っているはずですが、動いたのは半エクアドル人の私だけでした。エクアドルなら、私が気付く前に、数人が既に手伝っていたと思います。

電車に乗っている人が疲れている事。
地下鉄の中の様子。
地下鉄に乗っている日本人はとても疲れているように見えました。寝顔もしんどそうでした。

トイレの便器に紙が流せる事。
日本のトイレ。
大便を済ませた後、お尻を拭いたトイレットペーパーを入れるゴミ箱を探しました。約2年ぶりに、トイレットペーパーを便器の中に入れました。なんか不思議な感じでした。流れるか心配になりましたが、力強い水流でペーパーは便器の中に消えていきました。感動しました。

バナナが高い事。
コンビニでエクアドル産のバナナを発見。一本105円しました。エクアドルでは105円で10本は買えます。

今後も以上のような多くの逆カルチャーショックを受けるのだと思います。どんなショックを受けるのか今から楽しみです。間違いなく、2年前とは違った感覚を持った自分がいます。その感覚を大切にしながら、日本人になるリハビリをしていこうと思います。


最後に!!!!
エクアドルBBQのを通して、557回の記事を投稿してきました。アクセス数は66000を超えました。「エクアドルBBQのブログを読んでます」って人とも多く出会いました。しかし、本日で、このエクアドルBBQのブログを終了したいと思います。もう日本に帰って来てしまったからです。

日本人になるリハビリが終了したら、スペイン語で日本の魅力を伝えるブログでも始めようかと思います。今まで読んでくださった方、ありがとうございました。そして、いつかどこかで私とBBQしてください。エクアドルでの話をしながら美味しいBBQを楽しみましょう。

2013年3月20日水曜日

日本のすばらしさ


今、アメリカアトランタ空港にいます。数時間前、2年間お世話になったエクアドルとお別れをしてきました。

この「エクアドルBBQというブログを書きは始めた理由は、エクアドルの魅力を自分の教え子たちに伝えたいということでした。しかし、いつの間にかこのブログで「日本の魅力を伝えたい」という思いが強くなってきていました。外国で生活すると日本の素晴らしさを感じることができます。

エクアドル人の多くは「日本はすごい国」というイメージを持っています。地球の裏側、時差が14時間もある国の人が「日本はすごい」と思っているのです。どうやら、日本人が思っている以上に日本はすごい国みたいです。

第二次世界大戦敗戦後の日本の経済成長に多くの外国人が「あれは奇跡だ」と言います。外国人が私に「何人だ?」と質問してきて、私が「日本人だ」と答えると、彼らは、急に私に関心を持ってくれます。また、「日本の文化はずばらしい」や「日本人が大好き」と言ってくれる人も多くいます。外国で生活すると、自分は全くすごくないのに、自分が偉くなった気分になれます()

日本の素晴らしさを上げればきりがないので3つに絞ってエクアドル支部長的「日本のすばらしさ」を伝えたいと思います。
1、日本の文化、伝統は世界を魅了している。
2、日本人は向上心がある。
3、日本の教育は世界一。

1、日本の文化、伝統は世界を魅了している。
エクアドルには、寿司、カラオケ、盆栽、剣道、空手、マンガなどなど、多くのMADE IN JAPANなものがありました。その他、舞子や侍などのことに興味を持っているエクアドル人にも多く出会いました。日本独自の文化伝統が、世界中の人々を魅了しています。そんなことを感じるたびに、「日本人でよかった」と思えます。また、日本人は時間を守ります。ゴミはゴミ箱に捨てます。モノを大切にします。これは日本人からすれば当たり前のことの様ですが、世界的に見れば当たり前ではないようです。この私たちが当たり前と思っていることも、大昔から受け継がれてきた日本のすばらしい文化伝統なのだと思います。

2、日本人は向上心がある。
日本は自然災害が多い国です。四季の変化が激しい国です。農業をするのに適した国でもありません。世界的に見ても住むのが難しい国だと思います。しかし、世界トップレベルの経済大国です。多分その一番の理由は「日本人の向上心」だと思います。厳しい局面に立った時、その問題を解決するために日本人は知恵を絞ってきました。常に向上心を持って難解に挑んできました。その日本人スピリッツは現代にもしっかり受け継がれているように思います。私はエクアドルでの活動の際「もっといい研修会がしたい」という思いを持って、日々研修会を改善してきました。当たり前のように思えるこの感覚、世界的には当たり前ではないのです。日本人以外の人もいい仕事をしたいと思っています。しかし、日本人ほど、そのためにしっかり努力できない場合が多いのです。い仕事をするために努力できる日本人はやっぱりすごいです。

3、日本の教育は世界一。
今、日本では日本の教育力低下が問題視されています。しかし、私は日本の教員のレベルは世界一だと思っています。なぜなら、日本には世界で一番多くの教授法があるからです。数えた訳ではないので確かな情報ではありませんが、いろいろ調べるとそんな気がします。「なぜ、世界一の教授法があるか?」それは、日本の教員間には、それぞれの意見を交流させて個々の授業力を向上させていこうという雰囲気があるからです。意見を交流させることで、いろいろな知識を得ることができます。それらの意見を組み合わせて、新しい方法が見つかることもあります。日本人教師は貪欲に「いい授業をするための方法」を生み出していける人たちだと思います。また、日本の家庭の教育力も高いと思います。他人に迷惑をかけないように、自分の子どもが社会に出ても困らないように、日本の親は自分の子どもをしっかり教育します。人から借りたものは大切に扱い必ず返すこと、譲り合う事などなど。「日本人のことが好き」という外国人が多いのは、日本人は親や教師にしっかり教育されて人の気持ちを考えられることができるからだと思います。


何度も、エクアドル人に「日本は小さい国なのに、なぜ、超先進国なのだ?」と質問されたことがあります。以前の私は「なぜだろ?わからない」としか答えることができませんでした。しかし、今は自信を持ってその質問に答えられそうです。

「日本には素晴らしい文化伝統、精神、教育があるから」と。

2013年3月19日火曜日

エクアドル人から学んだこと

現在3月18日午後4時。日本に帰宅するための荷物も整い、後は空港に向かうだけとなりました。このブログもあと2,3回で終了予定です。

17日日曜日、任地のリオバンバから3人のエクアドル人が200km離れた首都キトまで会いに来てくれました。ありがたい限りです。

AM 8:00 仕事のパートナーのラリーさんと会いました。
私の右側にいる女性がラリーさん。
彼女は、誰に対しても無償の愛情を注ぎます。私に対しても実の息子のように接してくれました。ほぼ毎日、昼食時に家に招いてくれて手作りのおいしいご飯を与えてくれました。私が体調を崩したときも病院まで付き添ってくれました。彼女は、私だけでなく誰に対してもやさしく接することができます。そんな彼女に「なんでそんなに人にやさしくできるの?」と聞いたことがあります。すると彼女は「人にやさしくしてもらったことがあるから」と答えました。


AM 10:00 ホームステー先のお父さんグスターボとキト観光をしました。
お父さんとの別れ際の様子。
彼は、挨拶をとても大切にします。誰に対しても明るく気持ちを込めて挨拶をします。そんな彼の周りはいつも明るい雰囲気がありました。


PM 3:00 ランニング仲間のアンヘルさんがキトの家に招待してくれました。
アンヘルの家族と私。
左から、アンヘル、ヘネシス、ビオレタ。
彼は、日本人を尊敬し、日本人から多くのことを学ぼうとする人です。私がエクアドルで最も尊敬する人はアンヘルです。それは、20歳も年下の私から多くのことを学ぼうとする姿勢がすばらしいからです。


ラリーさんに限らず多くのエクアドル人は、サービス精神旺盛で、外国人であろうが初対面であろうがやさしく接してくれます。会った瞬間から心を開いてくれます。そんなエクアドル人の性格のおかげで、超アウェーの外国でも楽しく過ごすことができました。そんなエクアドル人のおかげで、日本に帰ったら外国人にやさしくできそうな気がします。エクアドル人にはしっかり恩返しできなかった分、私が日本で出会うであろう外国人にオープンに付き合っていきたいと思います。

エクアドル人は挨拶をとても大切にします。抱き合ったりキスをしたり握手をしたりしながら「おはよう、調子はどうだ?」と挨拶をします。頭を下げて挨拶する文化を持つ日本人の私は、当初エクアドル式の挨拶に抵抗を感じました。しかし、今はエクアドル式の挨拶の威力をヒシヒシと感じています。エクアドル式の挨拶をすると心の距離がグッと縮まります。日本で抱き合った挨拶をすれば驚かれるので出来ません。しかし、日本に帰っても今まで以上に気持ちを込めて挨拶できそうです。

多くのエクアドル人は日本人からいろいろなことを学ぼうとします。他の文化を学ぼうとする姿勢はすばらしいと思います。私は今まで外国の文化を学んで自分の人生に生かそうとは考えたことはなかったですが、今後はいろいろな外国人と関わりそれぞれの文化の良さを吸収していきたいと思います。

2013年3月18日月曜日

若い外国人旅人の生きる力

クエンカである安宿に三日間泊まりました。
私が泊まった宿

この宿は一泊7ドルです。キッチンがありますが、風呂やトイレは共同です。このホテルでの生活で「外国人旅人の生きる力」を感じました。

このホテルには多くの若いヨーロッパ人が宿泊していました。彼らの多くは道端でアクセサリーなどの売って旅の資金を稼いでるそうです。彼らは夜になると部屋でアクセサリーつくりに励んでいました。
アクセサリーを作る外国人カップル。
そしてある女性は、パン屋のオーブンを借りてチョコブラウニーをつくり、この宿の宿泊客に売りに回っていました。
ブラウニーを売るスペイン人の女性。
こんな感じで彼らはコツコツと金を稼ぎ、旅の資金に充てていました。彼らはこの後、南下してペルー、チリ、アルゼンチンへと旅を続けるそうです。彼らは、どんな状況でも生き抜いていきそうな雰囲気を持っていました。私には無理です。彼らの生きる力すごすぎます。


じゅうたんの町GUANO

リオバンバの隣町GUANO(グアノ)の中心地には以下のようなモニュメントがあります。
グアノの入り口にあるモニュメント。
これはじゅうたんを制作している様子です。グアノはじゅうたんで有名な町です。私はエクアドルに来た時から「帰国するときはこのグアノのじゅうたんを持って帰りたい」と思っていました。そして、その思いは2年間消えることがなかったので、買いました。
グアノのじゅうたん。
大きさ80cm × 120cm
重さ4kg
コンドルの下にはチンボラソ山、その様子を見るインディヘナの家族。エクアドルらしい柄が気に入り即購入を決意しました。肌触りや重量感もよく、今から日本の部屋に飾るのが楽しみです。

しかし、買ってからある問題に気づきました。スーツケースに入りません。がんばって入れましたが大きすぎで他の荷物が入りません。23kgというスーツケースの重量制限を守るのに、一つで4kgとはズウズウしい限りです。

でも、帰国してから自分の部屋に飾るのが楽しみです。無事に空港のチェックインを通過できることを切に願います。

2013年3月16日土曜日

セイロンベンケイとのお別れ

1年半前、ある小学校を訪れた際、セイロンベンケイと出会いました。
セイロンベンケイとは、南米原産の植物です。私の大学時代の卒業論文のテーマになった思い入れの深い植物です。そんなセイロンベンケイと地球の裏側で感動の対面を果たし、自宅に持ち帰り育てていました。

1年半前、ある学校から譲ってもらったセイロンベンケイ。
現在のセイロンベンケイ。
背丈は3倍になり、葉の数も増えました。花が咲くところまで育てたかったのですが、もう少し時間が必要みたいです。
1年半前、水に浸したセイロンベンケイの葉から発芽した芽。
上記の写真の葉を土の上に置いて、1年半後の様子。
1枚のセイロンベンケイの葉から、4本の立派なセイロンベンケイが育ちました。

このセイロンベンケイともお別れをしました。日本に持ち帰りたかったですが、空港で職員に怒られるのも嫌なので、泣く泣くリオバンバの自宅に置いてきました。

エクアドルでの2年間の生活はあっと言う間でしたが、セイロンベンケイの成長の様子を見ると時の流れをしっかりと感じることができます。

自分はセイロンベンケイのように成長できたのか?
日本に帰って自分の成長を感じることができるか?

日本に帰ってからの自分に期待したいと思います。


MINDOのチョウ公園

MINDO(ミンド)は数多くのハチドリが見れることで有名ですが、数多くの蝶(チョウ)が見れることでも有名な場所です。そんなミンドにはチョウ公園がありました。

羽を広げて休むチョウ。


6匹の蝶が切り株の上のキノコを食べてます。
ちょっと怖い。
交尾中のチョウ
この公園には数十種類のチョウがいます。気持ちの悪い位の数のチョウがいました。普段は美しいと思えるチョウも、あの数の蝶に囲まれると恐怖を感じました。

係員にチョウの一生についての説明を受けました。
蝶の一生は大まかに分けると、卵(たまご)幼虫(ようちゅう)蛹(さなぎ)成虫(せいちゅう)の4ステージあるそうです。
幼虫。
葉の裏でサナギになる準備中。
サナギ物干し竿。
一生分のサナギを見ました。
このサナギの陳列を観察していると、運よく「成虫になる瞬間」を見ることができました。
一生を卵、幼虫、サナギ、成虫と成長とともに体の仕組みや形を変えていくチョウがしっかり観察できて大感動でした。

2013年3月15日金曜日

MINDOのチョコレート工場

ミンド旅行一泊二日の大半の時間をハチドリ観察に費やしていましたが、ミンドにはその他の魅力も多くありました。今日はその中でもチョコレートについて書きます。

ミンドにはチョコレート工場があります。その工場見学のツアーに参加しました。数々の感動がある素敵なツアーでした。

まずはカカオがチョコレートになる過程を学びました。
① カカオの実から茶色の種だけを取り出します。
種の周りにある白い部分はフルーティーな味がします。
この白い部分はBBQソースなどの材料として活用するそうです。
② 取り出した種は葉に包み箱に入れられ、発酵の行程に入ります。

③ 発酵したカカオの種はこんな感じ。ちょこっとチョコレートな感じです。
この後、しっかり乾燥させます。

④ 発酵したチョコレートを、チンチンに熱した石で磨り潰していくとドロっとした100%チョコレートになります。工場ではもちろん機械を使ってこの工程を行います。
⑤ ④の100%チョコレートに砂糖を加えるとおいしいチョコレートの完成です。
写真では右側が100%チョコ、左側が砂糖。食べると確かに甘くておいしいチョコレートでした。


この工場ではその他いろいろな発見がありました。写真をもと紹介します。

 この工場ではショウガを育てていました。ショウガ入りのチョコレートをつくるためです。
ショウガを細かく刻み砂糖などと一緒に煮詰め、ショウガ蜜を作ります

右側がショウガ蜜を固めたもの。左側がチョコレート100%。この二つを一緒に食べると最高においしかったです。
この工場の人気商品の一つショウガチョコはチョコレートの中にこのショウガを入れて作られます

 発酵したチョコレートを粉砕する機械

粉砕したチョコレートを皮と実に分けるための機械。
奥に扇風機があり、皮は遠くに飛ぶのでカカオの実と皮に分けることができます。

約一年前、カカオ農家からカカオの実をもらったので、チョコレートを作ろうと思いました。自己流でカカオを乾燥させ、チョコレートを作りました。すると、とてつもなくマズイチョコレートができました。もっと早くミンドに来ればよかったと思います。

2013年3月14日木曜日

ハチドリ

エクアドルの最終旅行としてMINDO(ミンド)という場所に行ってきました。
ミンドは首都キト(標高2900m)からバスで2時間ほどの場所にあります。標高が1000m強で、キトより温かく、山や滝など自然が豊かな所です。

今回の旅の目的は「ハチドリ観察」。
ハチドリ。
花の蜜を吸うための長いくちばしが特徴です。


飛行中のハチドリ。羽が見えない。
ハチドリについて少し説明します。
ハチドリはアメリカ大陸にのみ生育する鳥です。約250種類のハチドリが存在します。エクアドルでは、その250種類のうち約200種類が生育しています。エクアドルは、コロンビアに次ぐハチドリ国家です。ハチドリの羽は超高速で動きます。一秒間に800回以上羽を上下させることができます。そのため、ハチドリは後ろ方向にも飛ぶことができます。動きはハエのような感じでした。

ミンドにはこのハチドリを観察できるところが数多くありました。私はミンドにいる一泊二日の間、多くの時間、ハチドリをジッと見つめていました。全く飽きません。美しい模様、不思議な動き、きれいな鳴き声。今まで30年間、鳥に興味を示したことは一度もありませんでしたが、ハチドリには夢中になりました。

さて問題です。以下の写真にハチドリは何匹いるでしょうか??
答えは、3匹です。動きが早すぎて、私のカメラでは上手く映りません。本当は以下の動画のような感じでした。
ハチドリって凄くて魅力的な鳥でした。
ハチドリの庭の管理人。
ハチドリをこよなく愛する彼は、この庭を造り始めて15年。
「これからももっとハチドリが来るような庭にする」と意気込んでいました。

2013年3月12日火曜日

ビスコッチョのまち、カヤンベ

先日、CAYAMBE(カヤンベ)という町を訪れました。以前から訪れたかった町です。なぜならカヤンベはビスコッチョで有名な場所だからです。
ビスコッチョ。
ビスコッチョとはクッキーのような乾パンのようなお菓子です。エクアドルのパン屋では必ずと言っていいほど作られている、ポピュラーなお菓子です。
私はコーヒーと一緒にビスコッチョを食べるのが大好きです。「幸せ」を与えてくれる貴重な食べ物です。そんなビスコッチョ好きの私にとって「カヤンベ」は訪れなければならない町でした。

カヤンベに到着するとまず驚いたのが「ビスコッチョ屋の多さ」です。看板に「BIZCOCHO」と書いたお店がいたる所にありました。他の地域ではビスコッチョ屋というのは見たことありません。なぜならパン屋が作っているからです。しかし、ビスコッチョな町カヤンベはパン屋とビスコッチョ屋は別でした。

友人に案内され一番の人気店に行きました。その店は、ビスコッチョを買うために遠方から訪れた人々で行列を成していました。その列に並び、ビスコッチョとチョコラテを注文しました。そしてアッツアツのビスコッチョが出てきました。
焼きたてのビスコッチョ
パン屋で冷えたビスコッチョしか買ったことがなかったので、焼きたてのビスコッチョを初めてでした。食べると「サクッ」。そしてほのかに甘く、香りもよかったです。「し・あ・わ・せ」って感じでした。サクサク食べ続け、7本も食べてしまいました。

なぜ、カヤンベのビスコッチョは有名なのか?
それはカヤンベはビスコッチョの発祥地だからです。昔、スペイン人の年配の女性がカヤンベでビスコッチョを売り始めると大ヒット。その後、大量生産のためビスコッチョ工場を建設。よって、カヤンベのビスコッチョはエクアドル中に広がりました。その後、各地のパン屋でもビスコッチョが作られるようになったそうです。スペイン人の女性が亡くなった後、ビスコッチョ工場は閉鎖され、従業員は各自でビスコッチョ屋を創めたそうです。そのため、カヤンベには「ビスコッチョ屋」が存在します。

ビスコッチョな町カヤンベのおかげで、お腹も心も満たされました。「ごちそうさま」




キト新空港

エクアドルの首都キトに新空港がオープンしました。
名前は「Aeropuerto Internacional Mariscal Sucre」
新空港の様子。
滑走路が4100mもあり、南米でも最大級の規模を誇る空港です。空港内のレストランや店も充実し、もやは途上国の空港ではありません(笑)

エクアドルを訪れる外国人観光客は年々上昇し、2011年は500万人を超えたそうです。たしかに、以前の空港は500万人以上の観光客を受け入れるには小さな空港だったように思います。国の発展のため、観光業向上のため、新空港は大きな期待を集めています。

しかし、エクアドル人からはいい声が聞こえません。なぜなら、キト市内から遠~いところに建設されたからです。キトの中心街から車で2時間位かかることもあるそうです。私はそれを聞いた時「自分の任期終盤の完成でよかった」と思いました。空港までの料金はバスなら最低2ドル、タクシーなら25ドルから30ドルかかるそうです。高すぎます。「国内移動するときの空港まで移動するロスが大きすぎる」とエクアドル人は嘆いています。

空港がスタートしたときは、いろいろな不安や問題はつきものです。数年後、私がエクアドルを訪れたとき、この新空港はうまく機能しているのかどうか楽しみです。




2013年3月11日月曜日

女性の日に感じたこと

3月8日は「DÍA DE LA MUJER」でした。女性の日という意味です。
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Wilipediaには以下のように書いていました。
「1904年3月8日にニューヨークで女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしたことをきっかけに、「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念日として、女性の日ができた。」

この日は、多くの男性が女性に花をプレゼントしていました。花を用意していない男性は「DÍA DE LA MUJER」と言いながら、同僚の女性をしっかり抱きしめていました。日本ではセクハラ的な行為ですが、エクアドルでは自然です。まったくいやらしくありません。

エクアドルでは、男性はよく女性に花を送ります。よく抱擁もします。人前でも交差点でも関係なく行います。男性は愛情表現のために「愛している」などの言葉を多用します。それがいたって自然です。日本男児な私は、その行為がはずかしく感じてしまいます。

これは、日本人男性が海外でモテない理由の一つなんだと思います(笑)。

2013年3月10日日曜日

スペイン語上達の経験から感じたこと

約2年前、長野県駒ヶ根訓練所でスペイン語の勉強を始めました。そして約2ヶ月後、ほとんどコミュニケーションを取れないままエクアドル降りてしまいました。それから、1年8か月が経過しました。

約2年間の青年海外協力隊生活で最も成長できたことは「スペイン語力」です。いろんな経験を積んで他の部分も成長したかもしれませんが、やっぱり語学力の向上が一番の成果だと思います。今ではエクアドル人とのコミュニケーションが楽しくて仕方ありません。楽しくなってきた頃に帰国するのはとても残念なことです。

今になって思うことが2つあります。
1つ目は、自分が知らなかったり発音できない単語は、聞き取ることができないということ。
2つ目は、自分の話すスペイン語のほとんどは、算数研修会のために作った台本(原稿)の中の言葉であるということ。

1つ目。「自分が知らなかったり発音できない単語は、聞き取ることができないということ。」
リオバンバのスーパーのレジ
スーパーで買い物すると必ず「FACTURA O ・・・・・・?」と聞かれます。店員は、あまり愛想がよくないので、めんどくさそうにその言葉を言うため「・・・・」の部分がはっきり聞こえません。私は約半年間、何を言っているのかわからないまま、常に「NO」と答えていました。
ある日、同僚と買い物した際に私は「店員はなんと言っていたんだ?」と質問しました。すると彼女は、「FACTURA(領収書) O CONSUMIDOR FINALと言っていたよ」と答えてくれました。私はCONSUMIDOR FINAL(コンスミドールフィナル)という単語を調べ、その言葉が日本語でいうレシートみたいなものだと理解できました。そして、何回か発音しました。するとその翌日から、店員の言葉が鮮明に聞き取れるようになりました。その時、私は、「自分は知らない単語は上手く聞き取ることができないんだ」と感じました。なので、私は今日本で流行しているらしい「聞き流すだけで英語力アップ」という勉強法は私には適していないんだと思います。


2つ目。「自分の話すスペイン語のほとんどは、算数研修会のために作った台本(原稿)の中の言葉であるということ。」
研修会での様子。
あるジョークを言って受けた瞬間
昨年11月に、私は、DELEというスペイン語検定試験を受けました。結果は見事不合格。コミュニケーション部門は満点に近かったのですが、文法部門は散々な結果でした。でも、よくエクアドル人に「スペイン語上手く話すね~」と言ってもらえます。
その要因は間違いなく研修会のために完全暗記した大量のスペイン語台本のおかげです。私は多分、5時間一人でスペイン語を話せと言われても話せます。4つの研修会の原稿をひたすた読み上げたら5時間位になります。研修会本番では、その場で考えたように思わせてきたジョークもすべて原稿作成の段階からの戦略でした。私生活では、その大量のスペイン語の中から、状況に応じて適切な語句や言い回しを用いエクアドル人とコミュニケーションをとっています。残念ながら台本丸暗記なので、文法などはよくわかっていません。しかし、人と話すだけなら「文法を理解するよりも、現地の人が用いる言い回しを丸暗記する」という方法のほうが効果的なんだと思います。

エクアドルでの生活を通して、外国語で外人とコミュニケーションをとる楽しさを知りました。日本に帰国したら英語の勉強も始めたいと思います。その際、エクアドルでのスペイン語上達の経験を生かして、英語学習に励んでいきたいと思います。

2013年3月9日土曜日

多言語なお食事会

任地であるリオバンバを離れる一月前からお別れ会の嵐でした。

ある学校の校長先生が開催してくれたお別れ会は4つの言語が飛び交うユニークなお食事会になりました。その学校にはドイツ人やスペイン人のボランティアが働いています。そして、先月から、たまたまボランティアの友人のカナダ人がリオバンバに来ていました。校長先生が招いてくれたお別れ会には、そのドイツ人二人、スペイン人一人、カナダ人一人、エクアドル人5人、そして関西人一人が参加しました。
左からエクアドル人、カナダ人、ドイツ人、スペイン人ボランティア、ドイツ人ボランティア。
カナダ人の男性は英語を話し、スペイン語を話せません。ドイツ人の年配の女性は英語とドイツ語を話しますが、スペイン語を話せません。ドイツ人の若いボランティアは、ドイツ語とスペイン語を話します。
そんな中ですが、スペイン語を話す人が多いので、主にスペイン語で会話をしていました。

カナダ人が発言するときは、3つのプロセスを通してスペイン語に変換されていました。
① カナダ人からドイツ人
② ドイツ人からドイツ人ボランティア
③ ドイツ人ボランティアから全員へ

その過程がとても新鮮で面白かったです。そんな状況なので、お別れ会の後半は言語をテーマにみんなで盛り上がりました。そして、一番盛り上がったのは「日本語」についてです。アルファベットを使わない言語にみんな興味津々でした。特に彼らが興味を抱いたのは以下の二つです。
①「ひらがな、カタカナ、漢字」という3つのスタイルの文字を使う事
②携帯電話でのメールの打ち方。

アルファベットですべての文字を表現するドイツ語、英語、スペイン語圏の人にとって、3つも文字の種類がある日本語は不思議な言葉です。
携帯電話で「あ行」のボタンを3回押すと「う」になるというスタイルの文字の入力方法にも感動していました。

日本語は特殊であり外国語を覚えるのにはかなり弊害の多い言葉ですが、多言語なお食事会では注目も的になる魅力的な言葉でした。
最後にみんなの名前を漢字に変換して、ポストカードに書いてあげたら大喜びでした。
日本語ってかっこいい言葉なんだと改めて感じました。


2013年3月8日金曜日

3月6日リオバンバ4kmレース

今日はちょっとええ話をさせてもらいます。

私は任地での活動を終え、3月7日早朝にリオバンバを離れ、首都のキトに移動しました。

3月5日は普段通りランニング仲間のアンヘルと朝の5時半から一緒に走りました。1年7か月前、彼に誘われ始めて一緒に走ったコースを走りながら、いろいろなことを話しました。初めは私が彼のスピードになんとかついていけなかったのが、今は私が練習メニューを組み立ててトレーニングしていること。初めは犬におびえていた私が、今は犬を追い払えるようになったことなど・・・。そして、この日のメニュー45分ジョグを終えて、「一緒に走れるのも明日が最後やな~」と二人でしみじみ語り、明日も5時半から一緒に走る約束をして各自自宅に戻りました。

3月6日、朝の5時25分にアンヘルが私の部屋の窓をノックしました。常に10分ほど遅れてくる彼ですが、最終日はなんと5分前行動。アンヘルの隣には、故障でしばらく一緒に走れていなかったエディーもいました。そして、私の師匠ダニエルと嫁のアリシアとも合流し、公園に向かいました。

いつものランニングコースの公園に到着すると、いつも走りながら挨拶を交わすランニンググループ30人程度が私たちの到着を待ち構えていました。アンヘルが前日に他のランニンググループに声をかけてくれていたのです。そして、ランニンググループのリーダーが、40人程度のランナーを集め「今日はGENKIのラストランを祝うために全員で走ろう」と言ってくれました。そしてまだ日が昇っていない公園で40人が「VAMOS(バモス)」と大声を上げ、いっせいにスタートしました。なんて熱いランニング仲間。感動しました。

私が先頭を走り、公園内の周回コース4kmを走りました。最高に気分のよい25分間走でした。なぜか、ゴール地点に到着したのは半数の20人。残りの人は途中で引き返したり、早めに帰ったみたいです(笑)。
でも、エクアドル人の温かさを感じることができました。ほんまエクアドル人は熱いハートを持った人々です。
ゴールした仲間と記念撮影。
ランニングを通していろいろ得るものがありました。
痩せれたこと、規則正しい生活ができたこと、いろいろなレースに参加し、いろいろな場所が知れたこと。そんな中でも一番の宝は、やっぱりエクアドルのランニング仲間です。いつか、彼らとリオバンバの公園で一緒に走り、挨拶を交わすためにも、日本でも走り続けようと思います。

2013年3月7日木曜日

最終報告会

2月28日に私の活動をしめくくる最終報告会を行いました。エクアドルでの1年8か月の活動の成果や課題を教育長や指導主事、校長や教員など計100人程度を招き、リオバンバ教育事務所で行いました。

午前9時から昼12時まで3時間行いました。大まかなプログラムは以下の感じです。
1、活動の概要(同僚)
2、活動の成果と課題(GENKI)
3、ミニコンサート(音楽学校の先生たち)
4、感謝状授与
5、ミュージカル
6、研修会に参加した校長や先生の感想

私は、1と2の内容だけで最終報告会を終える予定でしたが、同僚(ラリー)が以上のようなプログラムを考えました。
プログラム内容についてラリーと話し合っているとき、私は「コンサートとミュージカルの意味がわからん。時間通りに終わる気がしないからやめてくれ。時間にルーズな報告会は嫌だ」と言いました。最近、少しスペイン語が達者になった私は偉そうに言ってしまうことが多々あります。話し合いの結果、「ラリーがしっかりタイムコントロールをするなら・・・。」ということで上記のプログラムになりました。

研修会当日、午前9時、会場には30人程度しか来ていません。ラリーは「どうしよ?」みたいな表情で私の方向を見ました。私は「HAY QUE HACER(やらなあかん)」と言い、最終報告会は始まりました。

私の出番「活動の成果と課題」の時には、おおよそ100人程度集まっていました。私の発表で一番伝えたかったことは「個々の意見の交流させるために各学校に研修会のシステムを作ろう。」ということでした。

ミニコンサートを終え、次は感謝状の授与。
授与式の様子
私は「公開授業+事後検討会」の授業研修会のシステムを作ることを目標に研修会を行ってきました。自助努力で授業研修会を行う学校をつくることはできませんでしたが、9校でその内容の研修会を実践することができました。その9校の校長と、公開授業を行った教員に感謝状を渡しました。

次は、なぜかミュージカル。
子どもたちのミュージカルの様子
私は、意味がわからず腹立たしかったですが、会場の参加者はそれなりに満足していました。

そして最後は、研修会に参加した校長や教員の言葉です。
私たちの研修会に参加した高校の副教頭。
ミュージカルで完全に機嫌を損ねていた私ですが、6人の教員や校長の話を聞いてすっかり気分がよくなりました。
彼らは「ゲンキがやってきたことをここで終わらせてはならない。」とか「ゲンキの夢(研修会のシステムを作ること)を実現させることが、ゲンキへの恩返しだ」などの言葉を残してくれました。意外な発言に驚いてしまいました。その言葉のおかげで「自分のやってきたことは間違いではなかったんだ」と思えることが出来ました。

そして、6人中4人が以下のような感想を述べました。
「GENKIはいつも研修会がはじまるずい分前から研修会の準備を行い、時間通りにはじめ、時間通りに終わっていた。一方、私たちはどうだろうか??」 
この発言をした教員たちは、本日も遅刻でした(笑)。

しかし、彼らがそんな思いでいたことにビックリしました。私はエクアドル人は時間を守れない人たちと思いあきらめていたので、遅れてきた先生を指導することは一切しませんでした。しかし、参加者が一人の教室でも時間通りに初めていました。
多くのエクアドル人がそんな私の姿勢から多くのことを学んでくれたことはとても嬉しく感じました。

研修会のシステムを作るという夢は実現できませんでした。
しかし、彼らの心に「日本の教師GENKI」はしっかり刻むことはできたと思います。
まあ、よしとします。